第9章 夫婦間の殺し
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これまでに知られている全ての人間社会では、男性と女性は、異性の個体と、正式な繁殖上の連合関係を結ぶ
この利益の共有は、血縁者どうしの間に見られる関係と類似してはいるが、それよりもずっと容易に揺るがされたり、裏切られたりするもの
結婚を定義するための、正確で少ない数の基準がなかなかみつからないので、結婚による連合という現象が通文化的に存在することに疑問を投げかける者さえいる
それでも、以下に上げるような性質は、ほとんどすべての社会における結婚を特徴づけるものだといってよいだろう
夫と妻の間には、ある程度の相互義務関係がある
(つねにというわけではないが、しばしば、互いに対してのみ)性的接近の権利がある
関係は、妊娠、授乳、子育て期間を通じて維持されるという期待がある
夫婦間の間に生まれた子供には、なんらかの地位の合法化がある
これら、ヒトという種に固有な結婚の特徴はあまりに普通に見られるので、数値化する必要もないように思われるが、ヒト以外の哺乳類の配偶システムからは劇的にずれているということは、指摘しておく価値がある 哺乳類における雌雄の連合はほんの一時的なものであり、父親が果たす役割などはほとんど存在しない
結婚による協力関係と両親による養育は、ヒトの適応
多くの著者がホモ・サピエンスにおける結婚関係は経済的な連合関係であり、それゆえ、他の動物にけるたんなる繁殖上の関係とは異なるものだと示唆している この議論は検証に耐えない
アジサシの雄は、求愛と営巣の時期を通じて、自分の配偶者に餌を持ってくる ビーバーの夫婦は、冬中、自分たちのダムと家屋を維持する
すべての動物は資源を蓄積し、それを分配するので、それらを「経済的」活動と呼ぶことができる
しかし、経済的活動が進化してきたのは、それが繁殖という結果を生み出すから
有用品としての妻?
ヒトの求愛と配偶における新たな一捻りは、本人たち以外の人間がそこに関わってくる度合いと、その複雑さ
フランスの人類学者クロード・レヴィ=ストロース(1969)は、結婚とは夫と妻の間の契約ではなく、男性同士の間で、有用品としての女性を公的に交換しあうシステムであると論じた 結婚に関連して行われる物の交換や労働の交換を調べると、それが、女性の交換であることがしだいに明らかとなってくる
私たちの社会では、他の多くの社会と同様、結婚では父親が娘を与える
ヒトの社会の大部分では、男性は妻を購入するのであり、彼らはしばしば、買ったものに満足できないと返済を要求する
持参金という風習があることを考えると、金を払う方向は任意であり反転可能なように思われるかもしれないが、持参金と婚資は完全な反転ではない 婚資は、花嫁の血縁者に対する補償として支払われるもの
持参金は、普通は新婚夫婦に与えられるもの
花婿とその血縁者が花嫁を得るために支払っているのは、花嫁の生産力と繁殖力に対して
多くの社会では、ティブのように、婚約や結婚の時にはごく小額が腹割れあるのみであり、婚資の大部分は、その後、子供が産まれるごとに払われていく 一様に定められていることになっている婚資を結婚前に全額払うような場合でも、花嫁の繁殖価は、実際にどれだけが支払われるかを決める重要な要因である
結婚のポイントが繁殖にあることは、子ができないことが離婚の理由として広く認められていることにも現れている
婚資を払ってしまったあとでは、不満足な購入者はその返還を要求したり、子のできない女性を、その若い妹と交換することができる
もちろん現代の工業化社会でも、子ができないことは、結婚生活がうまくいかないことの主要な理由である
これらの事実から、人類学者の中には、進化理論にもとづいてではないが、「婚資」は正確には「子資」と呼ぶべきと示唆している人もある
女性を有用品として交換することは、おそらく、農業の発明以後に誇張されてきたのだろう
狩猟採集社会では、女性がもっとずっと自立しており、最初の結婚のときには決められた相手と結婚しても、のちには自分たち自身の選択で相手を決められるようだ(たとえばShostak, 1981) ほとんどの牧畜社会のように、男性がいっさいを取り仕切っているように見える場合でも、取持人としての成人女性の政治力はこれまであまり報告されてこなかった(Brown, 1982) 男性は、人前で自分を誇示したり、特権的な地位を得たりすることが好きなので、見た目から類推されるよりは、本当は実権を持っていないのかもしれない(たとえばIrons, 1983) 結婚は男性の政治形態の一つであるというレヴィ=ストロースの見解が、少しは偏ったものであるとしても、世界中どこでも、男性は、結婚や女性について語ったり考えたりするときには所有権の言葉を使う、ということは非常に重要なことだと思われる 姦通法
夫の観点からすれば、結婚は、ある女性の繁殖能力に対する独占権を確保することになる
姦通という概念以上に、この考えをはっきりと反映しているものもない
人々が法律を制定したところではどこでも、近親相姦の禁止以外にも、性的接触について制限を設けてきた
性的関係は法律を制定するのに適切な題材であると考えたということは、社会的実存にとって明らかなことでもなければささいなことでもない
多くの社会理論家は、古代の人々は「自由恋愛」をし、自然状態の男女は、互いに気を引かれたならばいつでも性的関係を持ち、姓の制限と嫉妬とは最近の「文化的発明」であると考えてきた
もちろん、無邪気な誤り
雌をめぐって激しく競争し、灰具合てからライバルを隔離しようとすることは、類人猿からネズミまでの哺乳類を含む、数え切れないほどの多くの動物でみられる、非常に明らかな雄の関心事
性的関係に関する法的制限は、世界の至るところで独立に何度も発明されたが、それらが類似しているのは、私たちが人類になるまえよりもずっと以前から、私たちの祖先の社会を特徴づけていた状態が、どこでも同じだったから
繁殖に関して競争関係にある男性同士の間に、避けられない本質的な利害の対立がある、ということ
結婚している女性と、その夫以外の男性との間の性的関係は犯罪である、という繰り返し見られる考え
被害者は夫で、典型的に所有物を侵害された時に用いられる言葉で表現される
ミクロネシア諸島のヤップ島では、「姦通は、窃盗と同じ言葉で語られ、同じように処理される。それは、個人の所有物、ココナツ、その他の窃盗とならんで分類されている」とハント、シュナイダーとスティーブンス(1949)が述べている ガーナのアシャンテ王国では、もっと明確で洗練された法律によって、姦通は夫の窃盗として分類されており、とくに、夫が婚資を払った時に買い上げた性的優先権に対する窃盗だとしている(Rattray, 1929) アフリカの様々な牧畜民の社会では、男性は、家畜で払うことによって妻の繁殖能力に対する権利を獲得するが、妻と姦通しているところをみつけた男性に対していは、それと同等の家畜による補償を要求することができる(たとえばHowell, 1954; Schapera, 1938) 結婚生活の不誠実さに関するダブル・スタンダードは、どこの「未開社会」の慣習の中にも見られるのだろうか 非常によく引用される「工業化以前の社会における女性の地位」の中で、マーチン・ホワイト(1978)は、人間関係地域ファイル(HRAF)から93の社会を選び出し、その中の75の社会において、婚外交渉に関するダブル・スタンダードが認められたと述べている この75の社会のうちたった32だけが(43%)、姦通に関して男性よりも女性を厳しく罰するという、よくあるダブル・スタンダードを持っていると述べている
サンプルの半分以上にわたる41の社会は、貫通に関してシングル・スタンダードであることになっており、二つの社会では、「見つかったときに、男性の方が女性よりも厳しく罰せられる」ので、実際には、婚外交渉に関して女性の方が優遇されたダブル・スタンダードであるという(Whyte, 1978) ホワイトの研究結果は、ダブル・スタンダードが文化的にどちらでも転ぶ証拠としてあげられてきた
彼の解釈は単純な誤りに基づいているのであり、それは、HRAF資料から典型的な引用をみればすぐにわかること
ホワイトがダブル・スタンダードが逆転しているとした二つの社会
ギリヤークでは、男性は殺され、女性は殴られるだけ
しかしここに逆転などなく、犯罪とされているのは、相変わらず、結婚している女性に対する無権利の性的関係
男性が結婚しているかどうかは、相変わらず、問われていない
さらに彼の言うシングルスタンダードもすべて誤っている
ホワイトはどの社会がこのように分類されたかを記述していないが、私たち自身がHRAF資料にあたって調べることができた範囲では、彼のサンプルであるどの社会においても、ダブル・スタンダードは明らかであった
ホワイトは、貫通した妻と相手の男性とが同程度に罰せられる社会を、すべてシングル・スタンダードと分類したようだ
真のシングル・スタンダードの社会、すなわち、貫通した妻も姦通した夫も同等に罰せられるような社会は、見つけることができなかった
姦通に関して、真のシングル・スタンダードを法律で採用している唯一の社会は、現代の工業社会
姦通は、夫の不実も妻の不実も同等に含められているが、語源は性的に対象な概念ではない ラテン語のadulterare「外部からの要素、または不適切な要素を加えることによって、不純な、偽の、または劣るものにすること」(Morris, 1969) 結婚している男性にも制限を設けることは、きちんとした一夫一妻を励行する一つの要素であると考えられるが、それは今世紀の主流であり、男性間競争を和らげることによって、さらに大きな政治組織の成長を促すことになった(Alexander, 1979) 姦通法が性差別を行わなくなったからといって、現代の男女がそれぞれの配偶者の不実に対して異なる反応をすることがなくなったわけではないし、これからの近未来にそうなるという見通しもない
両性ともに、姦通は離婚を要求する正当な理由として認められているとしても、男性の方が女性よりも、配偶者の姦通があれば離婚は当然であると感じるだろうし、男性の方が女性よりも、自分自身が離婚した理由を、配偶者の不実のせいだと考えられることが多いだろう(Daly, Wilson, & Weghorst, 1982) ヨーロッパの姦通法の歴史を扱った論文の中で、ハジヤンナキス(1969)は、両性間での平等な法を求める運動が非常に新しいものである(しかも、ゆっくりとしている)ことを示している 古代エジプト、シリア、ヘブライ、ローマ、スパルタ、その他の地中海諸民族では、姦通は、女性が結婚しているかどうかだけによって定義されており、関係者は両方とも、しばしば死をもって罰せられる
男性の不実が犯罪とされるようになるのは、ようやく1810年からだが、それも非常に限定的な事柄についてのみ
すなわち、フランス革命法は、夫が妻の意思に反して妾を自宅に住まわせることを禁じた
1852年には、オーストリアが初めて女性と男性を姦通法においてはっきりと同等に扱うようになったが、その後に生まれた子供の父性に疑問が投げかけられたときには、処分を厳しくするという条項に、その非対称性が残された
姦通における"adulteration"とは、夫による受精が危険にさらされるということ
姦通がほとんどつねに性差別的に定義されるのは、その結果が男性と女性で異なるから
"cuckhold"(不貞な妻の夫)という言葉は、他の巣にこっそりと卵を生んで、里親に彼らのひなを育てっせるような鳥であるカッコウ(cuckoo)からきている 法律形はしばしば、ジョンソン博士が示唆した非対称性に訴えることによって、姦通法における性差別を擁護しようとしてきた
もっとはっきりした例はフランス革命法に見られる
法が罰するのは姦通という行為そのものではなく、家庭内に他人の子供が入り込んでくる可能性であり、姦通が、この問題について引き起こす不確実さなのである。夫が姦通をしても、そのような結果は引き起こされない
父性の不確実性はヒトの繁殖には必ずつきまとうことであるので、性的に非対称な姦通法が、ヨーロッパの法体系を越えて広く見られても少しも不思議ではない 『社会と歴史における性の多様性』という大著の中で、ヴァーン・ブロウ(1976)は、世界の他の地域の多くの古代社会における姦通法に関する情報をまとめている ハジヤンナキスが地中海世界で発見したこととまさに同じことが、インカ、マヤ、アステカなどの新世界文明でもみられ、ローマによる征服以前の西ヨーロッパのゲルマン諸族でも、現代のイラクに当たる地域の古代都市でもみられる
すなわち、姦通は、女性が結婚しているかどうかで定義されるのであり、男性のそれではない
植民地以前のアフリカの法律については、ここでも非対称性は同じ
中国、日本、その他の東アジア文化圏でも、今世紀になるまで、被害にあった夫が姦通者に対して暴力的な報復を行うことが正当化されていた
挑発と「理性人」
多くの社会における法的伝統は、姦通を犯罪視するだけでなく、被害にあった夫の正当な反応の問題にまで踏み込んでいる
姦通にあった夫は、それ以外の場合であれば犯罪とみなされるような暴力を使っても仕方がないと広くみなされている
ギリシャのソロンの法は裏切られた夫に同様な権利を与えていたし、ローマ法では、姦通が夫の家で行われたときには、夫が相手を殺しても構わないとしていた
ヨーロッパ大陸では、現在でも、さまざまな形でこのような条項が残されている
1974年まで、テキサスでは、「夫が、自分の妻と姦通関係にあった人間を殺したとき、それが姦通の現場から当事者が離れる前に起こったものである限り」、正当な殺人とする、すなわち犯罪ではなくどんな処罰にも値しないとされていた
この点に関しては他の多くの面でもそうだが、テキサスは特別
少なくとも法律上で言う限り、姦通者を殺すことは、その他の英語圏の世界では犯罪を構成する
実際のところは、そして、普通法における数限りない前例をもって、法廷は、騙された夫の怒りをしばしば同情的に扱っている
たとえば、ブラックストーンの『イギリス法解釈』によると、普通法では、自分の妻が姦通してる現場を発見して殺人を犯した夫は、通常の「殺人」を定義する基準を適用されることはなく、「最も軽度の」故殺で有罪となるが、それは、「これ以上の挑発はないと考えられるからである」(Blackstone, 1803) イギリスの普通法は、「理性人」はどのように行動すると期待されるかの概念に、非常に重きをおいている この仮想的な人物は、結婚関係の自然の秩序と男性の情熱に関する法律家の前提を体現しているが、その前提がなんであるかは、以下の法律学者のまとめに赤裸々に語られている(Edwards, 1954) 「彼は、たんに姦通の告白を聞いただけで自制を失うことはないが、姦通の事実を目の前にし、自分が姦婦と結婚していたのだと知らされたときには、もちろん、バランスを失うだろう」
「理性人」はイギリス人らしい発明と思われるかもしれないが、他の人々も、世界中どこでも、これは普通のことだと考えられている
メラネシア諸島のウォゲオの人々では、法律と倫理のおもな題材は姦通であり、「被害にあった夫の怒り」は当然のことで許されることだとされている 東アフリカのヌアーでは、「貫通しているところを見つかった男性は、その女性の夫によって大怪我をさせられるか、場合によっては殺される危険を冒すことになると考えられている」(Howell, 1954) 合衆国では、姦通は挑発なので殺人を故殺に引き下げてもよいとする原理は、年に何回か控訴裁判所で支持されている
しかし、そのような殺人が普通法で「故殺」に格下げされるのは事実だが、実際には、さらに軽い刑にしか扱われていない
ブービエの法律辞典によれば、これは、「自分の妻の愛人や自分の娘を誘惑した者を殺した男性は有罪ではないと、法律ではみなされるということの、大衆的な表現」を指している
妻が殺した場合にも、夫が殺した時と同じように挑発を主張できるかどうかについては、裁判所の判断は異なる
このような事件は非常に少ないので、この点について実質的な議論はしにくい
妻たちは、夫が貫通してる現場を見つけても、それで夫を殺すということはあまりしないようだ
あるアメリカの法律学者は、ジョージアでの事件を引用して、「姦通の現場を見たことからこみあげた怒りによる殺人については、夫に必要とされるのと同じ行為の標準が、妻にも必要とされるということになった」と述べている(Miller, 1949) 続けて、このような平等な扱いが典型的な法的解釈であるかどうかを問うているが、「妻が殺したのはこの事件だけなので」一般的な結論を得ることはできなかった
もっと最近の判例でも、ことははっきりとしない
ヘンダーソン対州では、1975年のジョージア上訴裁判所は、自分の内縁の夫が貫通している現場を発見し、彼が立ち上がる前に致命的な刺し傷を与えた女性の有罪を確定するかどうかで4対3に割れた
すべての裁判官は、殺人の判決をくださないとするために十分な挑発があったという点では、下級裁判所の判決に合意しているようだ
姦通が挑発になって被告に有利に働くのは、両性ともに同じ
しかし、多数は故殺で有罪確定することを支持したが、これに賛成しなかった3人の判事は、どんな有罪確定も厳しすぎるとし、予審判事は陪審員に対して、殺人者が夫であったならばそうしたように、「姦通の行為が続けられるのを阻止するか、または姦通の行為が完了するのを阻止するためには、配偶者は相手を殺す権利がある」と説得するべきであったと主張した
こうして、4対3の小差で、ジョージアの男性は貫通した妻を殺すライセンスを得たが、女性は得られなかったようだ
北アメリカにおける配偶者間殺人と性的嫉妬
妻の浮気以外に、挑発とみなされて殺人者の刑事責任を軽減させる程の力を持っている唯一の行為は、自分自身または血縁者に対する肉体的暴力(たとえばDressler, 1982) 配偶者間の殺人の実態は、暗黙の内に仮定されている人間性の理論と合致している
「嫉妬」という動機カテゴリーは、少しばかり性格の異なる二つのケースを含んでいる
第三者がいるもので、犯罪学者の一部が「三角関係」と呼んでいるもの
単にパートナーが自分との関係をおしまいにするという事自体に我慢がならない場合
嫉妬を感じた人物は、三角関係のときよりも、こちらのケースのほうがずっと多く男性
妻が浮気していることと、妻が去ったこととの違いには、男性の嫉妬のそこに流れている二つの別個の、しかし関連した心配事が現れている
前者の場合のみ、男性が騙されて他の男性の子供を育てさせられる危険が生じるが、危険性は、一部は同じ
どちらの場合でも、男性は自分の妻の繁殖能力をコントロールできなくなっているのであり、他の男性との繁殖競争で負けかかっている
「繁殖戦略上の」共通性こそが、その男性心理の上での共通性をも明らかに告げている
姦通も、捨てられることも、同様に自分の権利の侵害だと感じる、夫の攻撃的な独占欲がある
1972年にデトロイトで起こった690例のうち、被害者と加害者が夫婦であった事件は80件ある(内縁関係を含む)
被害者の44人が夫で、36人が妻
80件の夫婦間殺人のうちの23件(29%)が、ウィルト(1974)の分類による「嫉妬による対立」であり、その23件のうち16件で嫉妬したのは夫の方 しかし、これでは、男性の性的嫉妬が果たしている役割を大幅に過小評価している
デトロイトの夫婦間殺人の大部分は、ほかでもない「家庭内のいざこざ」というカテゴリーにまとめられてしまっているから
ウィルバンク(1984)のマイアミの殺人研究には、1980年にこの都市で起こった43件の夫婦間殺人の短い概要が収められている そのうちの19例が正式な法律上の婚姻関係にあって同居しており、内縁関係が14例、別居中が10件
被害者の23人が女性で20人が男性であった
この内の17件では、対立の原因が書かれておらず、たんに「家庭内のいざこざ」などと記述されている
さらに17件は男性の性的嫉妬によるもので、4件が女性の性的嫉妬によるもの
性的嫉妬以外の特別な理由によって生じたとされる事件は5件だけであり、それぞれ1件ずつ
妻が自分よりも子供に多く注意を注いでると感じた夫が妻を殺した例
暴力的な夫から娘を守ろうとした妻の例
高齢で不治の病の夫婦による自殺幇助の例
暴力的な夫を殺した妻の例
夫が警察の頭頂装置を探そうとして家中をかき回したことに対する議論による例
1974年から1983年のカナダでは、1060件の夫婦間殺人のうち1006件に動機をあてがっている
そのうちの214件(21.3%)が嫉妬に起因するものであり、夫が妻を殺した事件の25.5%、妻が夫を殺した事件の7.9%にあたる
これも嫉妬が果たしている役割を大幅に過小評価している
「言い争い、けんか」(51%)、「怒り、または憎しみ」(10.5%)
このような動機の分類は、計画性があったか、それとも突発的な反応によるものかという、刑事や検察にとって重要な疑問を反映したものであって、夫婦間の対立の実質的な内容がなんであるかについては、何も語ってくれない
オンタリオ警察が捜査した夫婦間殺人を分析したキャサリン・カールソン(1984)の研究は、嫉妬を過小評価しているという推測に関する明らかな証拠を提供している 36件の夫婦間殺人を分析したが、その中にはカナダ統計局による動機も記載されている
警察では、そのうちたった4件しか「嫉妬」によるものとはされていなかったが、他のいくつかの事件においても、性的な独占欲が関わっていることが明らかだった
女性が夫を殺すときには、普通は、男性が妻を殺すときと同じような独占欲にかられてということはない
もっと普通なのは虐待する夫から、自分自身、子供などを守るための自己防衛
刑事手続ももともと暴力的だったのは男性の方だったという証拠に何度となく直面しており、夫殺しの罪は妻殺しの罪よりも一般的には軽い
北アメリカでは夫を殺した妻は、男性よりもずっと多くの場合無罪になり、もし有罪となったとしても刑が軽い
ルンズガルドのヒューストンの殺人の研究では、21人の夫殺しの妻のうち、裁判で有罪となったのはたった3人なばかりでなく、この3人すべてが執行猶予付きだが、妻殺しで有罪となった夫9人の全員が刑務所に行った 司法システムに性差別があるためかもしれないが(おそらく、男性の方が危険だと思われているのだろう)、有罪になる割合の違いが、犯罪の内容の違いを反映しているのは確実
夫婦のうちのどちらかが死ぬことになるかにかかわらず、暴力を振るい始めたのは、たいていは夫の方
殺人者の目からみた事件の内容
警察の概要や政府の統計は、殺人の動機を研究するための理想的情報源ではないのは明らか
幸いなことに、夫婦間の殺人に終わることになった対立の源泉について、研究者が加害者自身にインタビューを行ったような細かい研究が、数は少ないが存在する
結婚生活では、男性の性的独占欲が、まさに最高に危険な問題を構成していることがどの研究からも見て取れる
24人が男性で、7人が女性
ボルチモアで起こった36件の家族内殺人の中に含まれていた夫婦間殺人のすべて
グットマッハーは、加害者たちとのインタビューをもとに、彼が「動機と思われる要因」と名付けたものを表にしている
データの表記には曖昧な点も見られるが、31件の夫婦間殺人のうちの25件(81%)までもが、性的な独占欲に起因している
14件は、どちらかが新しい相手と出ていったことが動機となっており、5件が当人の「浮気傾向」、4件が「病的嫉妬」によるもので、一例は姦通現場の発見、一例は加害者の妻と娘婿との間の姦通を疑った幻想が原因
6件は精神異常とされたが、残りの11件はあまりにも内容がよくにていたため、著者らは、その報告に「夫婦殺人症候群」という題名をつけている
11人中一10人が、「すぐに出ていくわよ」という脅しに続いて殺しており、11人の被害者のうちの8人は、過去にも加害者を捨てたが戻ってきていた
「11件すべてにおいて、被害者は別の男性と関係を持っていたか、加害者に自分が不倫をしていると思わせていた。うち10件では、被害者は、そのような関係をまったく隠そうとしていなかった」
有罪が確定したカナダの夫婦間殺人の加害者も、また、夫婦間殺人の動機の大部分が男性の性的嫉妬と独占欲であることを示している
社会学者のピーター・チンボス(1978)は、34例の夫婦間殺人の手に入ったサンプルについて、29人の男性殺人者と5人の女性殺人者にインタビューを行った インタビューは平均して事件の3年後で、30人は刑務所にいて、4人は最近出てきたばかり
17人は被害者と法的に結婚していたが、17人は内縁の関係だった
34組のうち22組が過去に浮気が原因で分かれたことがあり、またよりを戻していた
チンボスのインタビューの結果で最も顕著であるのは、殺人者が、自分たちの不幸な結婚の葛藤の主要原因としてあげているものがほとんど同じであること
34人のうち29人(85%)が「性的な事柄」(浮気、セックスの拒否)をあげており、3人が「過度な飲酒」のせいだとし、2人は深刻うな葛藤など何もなかったと述べている
ほとんどの殺人者は教育程度が低く、職業上の地位も低かったにもかかわらず、結婚生活の主要な争点として金銭的な問題を挙げた人は一人もいなかった
子どもが原因だと述べた人も一人いなかった
残念ながらチンボスは浮気をめぐる喧嘩を性別で分けていない
妻の浮気の方が夫の浮気よりもずっと論争の種になっていることは明らかだ
論文には殺人者が述べたことがところどころ引用されているが、男性加害者によるそのような13の引用からは浮気が暗示されており、13人全員が、妻の不実に対する不満を述べている
女性殺人者からの引用では、4つに浮気に関する言及が見られるが、夫が自分の浮気を疑っているということ
夫婦間の嫉妬と世界各地における暴力
北アメリカに限らず、夫婦間殺人の資料を得ることのできたすべての社会において、話は基本的に同じ
例えば、いくつかのインドの先住民族の間で起こった夫婦間殺人を扱った研究論文がいくつかある
これらの農耕民族の間での殺人率は高く、その99%は男性によってなされていた
マリアの妻が夫に殺された20件、ムンダの3件、オラオンの3件、ビールの8件が含まれている
これら4つの社会のどれでも、夫婦間殺人の大部分は、妻が不倫をしていることを夫が知ったか、その疑いを抱いたか、それとも妻が夫を置いてでていったか、夫を拒否したかのいずれかが原因で生じている
これらの社会では男性間殺人件数が非常に多いが、そのおよそ20%は、女性をめぐるライバル関係が原因であるか、または、男性が自分の娘または親戚の女性に対し他の男性が性的に接近したことに怒ったのが原因
この中の8件は明らかに事故なので、残りは90件
そのうちの42件は男性が女性、たいていは妻を殺した事件で、そのうちの32件についてなんらかの動機が記されている
10件が姦通、11件が家出または性交渉の拒否、11件がその他もろもろ
さらに5件の男性間殺人が、明らかに性的なライバル関係が原因で起こっている
女性が加害者であるのは2例だけで、1例が男性を、1例が女性を殺した事件
後者の1件のみが、女性による性的嫉妬または女性間の性的競合による事件であるのに対し、男性によるそのような事件は26件に上る
ソヒアー(1959)は、1948年から1957年の間に当時のベルギー領コンゴで起こった、有罪が確定した275件の殺人事件の裁判記録をまとめた 動機がはっきりしているもののうちでは、59例が男性の嫉妬による事件であるが、女性の嫉妬によるものは1件のみ
騙された夫16人が、姦通した妻または相手の男性または双方を殺している
さらに10人の夫が、家出をした妻か、家出をすると脅した妻を殺した
3人は、離婚が成立したあとのもとの妻を殺し、さらに3人が離婚した妻の新しい夫を殺した
さらに13人の男性が、不実な婚約者または愛人を殺した、など
夫婦間の殺人で、動機がはっきりしていて、男性の嫉妬に起因していないものはたった20件にすぎない
女性の嫉妬が原因の1件は、妻が夫の愛人を殺した事件
妻の婚外の性交渉をよいことで、楽しいことだと受け入れるような社会があると思った人も数人いるが、答えはノー
マーガレット・ミードは、数え切れないほどの著作の中で、サモアを、自由で、性に対する態度が無邪気な牧歌的な楽園として描き、そこでは性的嫉妬などは見られないと主張した デレク・フリーマンは、姦通に対する暴力的な反応や性的競合がサモアでは特別に頻度が高く、それが古くからこの社会のつねであったことを1983年に示し、ミードの神話をついに粉砕した ミードのサモアが幻想に過ぎないという証拠は以前から入手可能だったが、事実のほうが無視されていた
その理由は、ダブルスタンダードに関するマーチン・ホワイトの間違った結論が、あれほど熱狂的に受け入れられてきたことと同じであると、私たちは思っている 社会科学で優勢を占めているイデオロギーが、対立は悪で調和は善という前提と、良いものは自然で、悪いものは人工的という、一種の自然主義の誤謬とを結びつけた
嫉妬の感情をまったくもっていない異国の人々が存在するということに関する混乱の一部は、社会的な制裁と個人的な暴力の使用とを区別しそこなったことから来ている
『家族の比較文化的研究』というウィリアム・スティーブンス(1963)の有名な著作は、39例の社会のうち4例では、「近親相姦ではない姦通にはほとんどなんの禁止も存在しないようだ」と主張している しかし、そのような4つの社会の一つであるマルケサス諸島人についての、スティーブンス自身の情報源の一つ(Handy, 1923)では「女性が男性と住むと決めたときには、彼女は、彼の権威下に置かれることになる。もしも彼女がその男性の許可を得ずに他の男性と同居した場合には、彼女は殴られるか、夫の嫉妬があまりにも激しいときには、殺されることもある…」 スティーブンスの主張が意味したことは、姦通者に対して社会が何らかの犯罪としての制裁を設けていないということ
フォードとビーチ(1951)の『性行動の諸相』には、スティーブンスと非常によく似た主張が含まれるが、もっと誤解を招くもの 139のサンプルの中から、「配偶関係以外の性的関係に対する主な障壁として唯一のものは近親相姦の禁止だけである。これらの社会では、男性と女性はどんな性関係を持つのも自由であり、近親相姦の禁止が守られているかぎり、むしろ、多くの性関係を持つことを奨励されている」という社会を7つはっけんしたと主張している
「禁止」が意味しているのは、大きな社会的なコンテキストでの法的または準法的制裁であると考えて、初めてこのような主張が納得の行くものとなる
強制的コントロールとしての暴力
本当に妻を殺してしまった男性は、適応度で測るにせよ、資金的な通貨で測るにせよ、効用を踏み越えてしまっている
殺人が、実際に殺人者の利益になることはおそらくないのだろうが、死に至らない暴力の場合は、本当にそうかどうかは難しいところだ
男性は、成功するかしないかは別として女性をコントロールしようとし、女性はコントロールにていこうし、自分の選択を維持しようとする
このような競争にはつねに、瀬戸際まで追い詰められた戦略や破綻の危険がつきまとっており、夫婦間の殺人は、どちらの性が殺されるにせよ、そのような危険なゲームの勇み足と考えられる
夫婦間殺人を権力闘争の勇み足と考えると、カナダのデータでみられる、奇妙なパターンを説明できるかもしれない
法的な配偶者によって殺される危険は、最も若い妻で最も高いという結果
進化学者ならば、年齢の効果について、非常に異なる予測を立てるかもしれない
AがBを殺すかどうかが、Aの適応度に対するBの潜在的貢献度によって影響されるならば、男性は、更年期を過ぎた、もう取り替えても構わない妻の方をよく殺してもいいのではないだろうか
男性はもっとも若い女性に対して最も嫉妬を感じるので、そのような妻に対してもっとも強制的な行動に出る傾向があるということを、このデータは示しているのだと私たちは考えている(Dickemann, 1981も参照) 被害者の年齢と同時に加害者の年齢も考慮に入れると、この解釈の妥当性が更に強められる
夫婦の年齢は相関が非常に高く、若い男性が特別に暴力的だということは既に明らかであるのだから、もっとも若い妻の危険性が高いのは、もっとも若い夫が高いリスク・グループに属している体と思われるかもしれない
しかし、夫婦間殺人では、女性の年齢の方が、男性の年齢よりも有効な予測因子であり、このことは、女性が被害者であるときにも加害者であるときにも、両方に当てはまる
夫婦間の殺人は、もっとずっと大きなスケールで起こっている、夫婦間の死には至らない暴力の、比較的まれで極端なものの現れということになる
実際そのとおりで、殺人でみられることは、すべて妻の虐待にも当てはまる
虐待のもっとも多い理由は、浮気、嫉妬、男性の独占欲
ホワイトハースト(1971)は、カナダで、夫が妻に対して暴力をふるった件で争っている夫婦間の100件の裁判を傍聴した 彼は量的な分析はしていないが、「ほとんどすべての事件の核心には……夫が妻をコントロールできないことの欲求不満に対する夫の反応があり、しばしば、妻を売女だ、浮気女だとののしっている…」と報告している
ドバシュとドバシュ(1984)は、スコットランドの109人の虐待された妻にインタビューし、「典型的な」虐待のときに、対立の主な原因は何であったかを特定するように求めた 48人の女性は、夫による所有欲と性的嫉妬をあげたが、それは、全ての原因の中でもっとも多かった
金に関する口論がついで高く(18人)、家事に対する夫の期待が第三位を占めた(17人)
52%が嫉妬であり、94%の女性がしばしば議論の種であったとしている
暴力を振るう夫がインタビューに応えることはめったにないが、応じたときには被害者と本質的に同じことを語っている
ブリッソン(1983)は、デンバー在住の妻を虐待した夫122人に「暴力をふるったときの話題は何か」を聞いた 嫉妬がリストのトップ、ずっと下がって第二位が酒に関する議論、第三位が金に関する議論
妻の虐待はしばしば不倫乃木ワックから生じてはいるが、それは、もっと一般的な独占欲の産物であるかもしれない
虐待された妻の多くは、たとえ女性同士であっても、古い友人と付き合い続けることに夫がひどく反対して暴力的に振る舞うと述べており、実際、妻がどんな社会的交渉を持つことに反対する夫もいる
ノースカロライナの郊外で、診療所に助けを求めてきた60人の虐待された妻に関する研究で、ヒバーマンとマンソン(1978)は、この内の57人の夫たちが(95%)、「どんな理由でも家を出れば必ず不倫をしていると非難し、結局は暴力を振るうことになる」ような「病的嫉妬」を見せていると報告している 暴力を振るう夫が嫉妬深く疑っていることが、全て幻想であるとは限らない
シールズとハンネッケ(1983)は、一群のアメリカの虐待された妻と、虐待されてはいない対照群との両方に、現在の夫との生活の間に、他の男性と「性交渉を持ったことが一度でもあるかどうか」を含め、多くの質問に答えてもらった 夫から虐待され、強姦されている女性の47%が不倫を認めたが、虐待はされているが強姦はされていない妻では23%、虐待されていない対照群では10%であった
シールズとハンネッケは、明らかに、不倫は夫の暴力に対する反応であって、原因ではないと考えているが、総解釈するべき理由を明示してはいない
不倫は暴力への返報という解釈は、夫の暴力が増加するほどに、男性一般に対する見解が否定的になるという相関を前にすると、非常にありえそうもないように思われる
明らかに妻を虐待することはときには非生産的である
大方の男性は女性をコントロールするために暴力をふるうのであり、ある程度、暴力は有効である
「私は、愚鈍でも悪い妻でもありません。夫はそれをよく知っているので、一度も怒ったことがありません。夫たちの中には、妻が他の男性と出かけていったからといって、妻を殺してしまう人もいるのです」
年齢差の大きいカップル
1980年のマイアミで最初に起きた夫婦間殺人は、29歳の女性が55歳の内縁の夫を射殺した事件であったが、その動機は警察の要約には記されていない(Wilbanks, 1984) 同じ年の12月、27歳の男性が47歳の前妻を、帰ってくるのを拒否したということで射殺した
これはもちろん、よくある暴力的な結婚の例ではない
もっとよくあるのは、33歳の女性が彼女がでていこうとした時の口論がもとで55歳の男性を射殺したり、38歳の女性が、いつも自分を虐待する58歳の夫を自己防衛で殺したときのように、夫のほうが20歳以上年上
ウィルバンクスは、マイアミでの夫婦間殺人の42件について夫と妻の双方の年齢を記述している
そのうちの12例では、両者の差が10歳以上であるが(29%)、夫婦をランダムにサンプルしたら、もちろん、こんな高い値が出てくることはない
他の22例では、被害者は加害者の「愛人」であったが、それらはもっと異様なカップルだった
もっとも極端な例では、60歳の男性が26歳の愛人を、気を持たせた後で捨てたというので殺したり、33歳の男性が65歳の愛人を殺したりしている
愛人関係の殺人22例のうちの13例(59%)で、年齢差が10歳以上開いている
年の差カップルが多数を占めることはマイアミの殺人に特徴的なことではなく、ルンズガルド(1977)は、1969年のヒューストンにおける32件の夫婦間殺人で両者の年齢を記述しているが、そのうちの8例において、年齢差は10歳以上(25%) どちらの方向へでも極端に年齢差があるような結婚は、もっとも多く見られる、夫がおよそ2歳年長という典型的な結婚に比べて、4倍も殺人率が高い
1981年に同棲していた、561万1500のカナダのカップルのうち、年齢に11歳以上の開きがあったのはたった6%であるが、1974年から1983年の間に起こった夫婦間殺人の18%で、それだけの年齢差が見られた
年齢差によってグラフ化すると、はっきりとしたU字状の形態が現れる
私たちは一方のパートナーが他方よりもずっと年上であるときには、嫉妬や、その他のたぐいの対立関係が強くなるとする、正当な理由があると考えたくなるものだ
実のところは世代ギャップが大きくなるほどに、互いの誤解の危険性が大きくなるだけだということを反映しているのかもしれない
もう一つ考えられる説明は、普通でない年齢差のあるカップルは、奇抜な人間、負け犬、奇妙な取り合わせなど、それだけ変わった人間を含んでいる割合が高いというもの
この説明では、年の差結婚それ自体には、夫婦間殺人を引き起こす危険は含まれていないことになる
残念ながらカナダ統計局のデータアフィるには、加害者の配偶者の年齢までは書いていないので、この仮説を検証することはいまのところできない
繁殖の相手
結婚という制度は基本的には繁殖上の結合
現在の夫婦間似できた子どもは、夫婦の資源をどのように配分するかという決定的な問題に関して合意を促すはずなので、夫婦の不和よりは、調和をもたらすはずだと考えられるだろう
一方、以前の配偶関係からできた子どもは、夫婦の対立の原因となり、特に、現在の夫婦と同居している場合にはそうだと考えられる
以上の核家族内の対立に関する進化理論は、調査によって強く支持される
クリンゲンピール(1981)は、継父と実の母のいるアメリカの家族のうち、夫が前の結婚で得た、自分が保護者ではない子どもを持っている家族ともっていない家族を比較した。 夫にそういう子どもがいたときの方が、現在の結婚は双方にとってより不満足なものであった
メッシンジャー(1976)は、前の結婚で子どもがいて再婚したカナダ人に、自分の二回の結婚生活において「明らかな対立」が起きるのはどのような問題か、ランクづけをしてもらった 失敗に終わった最初の結婚では、子どもと金銭は、ほとんど問題として出てこなかったが、二度目の結婚では、この二つがもっとも高いランクに入っていた
この対立の焦点がなんであるかはメッシンジャーの報告から明らか
実の母親は、継父が自らしたいと思う以上に多くの資源を、自分自身の子どもに注いで欲しい
ベッカー、ランデとマイケル(1977)が、アメリカの人口学的データの大きなサンプルに対して行った分析によると、現在の結婚で生まれた子どもがいると、現在の結婚とそれに続く結婚の離婚率は低くなるが、前の結婚で生まれた子どもがいると、現在の結婚の離婚率は高くなる 私たちは、夫婦間殺人の危険性も、離婚の危険性と同じように変化すると予測している
いまのところ、この予測を検証できるようなデータはない
もしも、夫婦間殺人の危険性が離婚の危険性と一致しているとしたならば、同じ年齢と同じ結婚年数の夫婦では、子供のいない夫婦の方が子供のいる夫婦よりも多く殺し合うと予測されるかもしれない
それを支持する証拠はまったくないが、子どものいない夫婦は、対立が起きても爆発する前に分かれることが、子供のいる夫婦よりも簡単にできるので、そのような効果は見られないとも考えられる
さらに、もしも、夫が子どもの父性に疑いを抱いたならば、自分の子といわれている子がいる方が、子がまったくいないときよりも悪いかもしれない
繁殖上の利害が一致しないことで結婚生活の対立が生じるならば、そのような対立は、親の異なる子どもたちが混合してる家族でより強いだろう
第4章 親による現代の子殺しで既に、義理の子どもは、彼らを育てることにあまり乗り気でない義理の両親によって殺される危険性が非常に高くなっていることを示した いくつかの殺人研究によると、義理の家族では、結婚している当人たち自身が殺される危険性も高くなるらしい
33件の夫婦間殺人の短い概要がのせられている
これらのうちの11件で家庭内に義理の子どもがいたことがわかる
3件に1件というのは、偶然から期待されるよりもずっと高い義理関係の頻度であり、実際には状況はもっと悪いかもしれない
ルンズガルドは特に義理家族に興味をいだいていたわけではないので、3件に1件は最低推測値
この3件とも、たまたま義理関係のことに触れたにすぎない
ビーター・チンボス(1978)のカナダでのインタビュー研究も、夫婦間殺人と義理の子どもの関係を示唆している チンボスが典型的な事件として描写している6件のうち3件が義理家族
1件が継母、1件が継父、もう1件は両親ともに前の結婚からの子どもを連れていた
残りの三件のうちの2件では、夫婦間の子とされている子がいたが、妻は長い間にわたって、夫の知っている不倫関係を持っていたので、夫がその子の父性を疑っていたとしても当然だろう
子供の不正に対して疑惑を持つことや、自分の子ではないことを知ることと、嫉妬による怒りとの関係は、研究する価値があるだろう
自分の子ではないことを知るのも、致命的な結果を生むことは明らかであり、それは、不倫の証拠に比べれば二の次だということはない
たとえば、チンボス(1978)の研究に出てくる殺人者は、いつも不倫のことで妻と喧嘩していたが子供の父性に関する言葉で怒りでわけもわからなくなりライフルで妻を射殺した
夫婦間殺人において、大部分のカップルが内縁関係であることも、繁殖上の対立からきているのかもしれない
アメリカにおける夫婦間殺人の様々なサンプルでは、非常に多くのカップルが内縁
おそらく、内縁関係は、貧困層、若い人たち、都市居住者に多いと考えられるが、それらは、殺人の危険性が最も高い集団である
それにしても内縁関係はあまりに多い
おそらく、内縁関係の夫が与える物質的投資が比較的少ないために、女性はしばしば別の関係を探そうとすることになり、その結果、パートナーに暴力的な独占欲を引き起こすのかもしれない
カナダでは、殺人率は内縁関係での方がずっと高い
法的結婚におけるものと内縁関係とでは、殺人の危険性と年齢との関係がまったく異なる
絶対数では、20代、30代の内縁関係殺人の方が、それより年上のグループによるものよりも多い
中年のカップルにおける非常に高い殺人率は、その年齢グループで起こったほんの数十件の殺人による
しかし、その年齢グループで内縁関係にあるカナダ人は非常に少ない
私たちの仮説は、中年で内縁関係で住んでいるカップルのほとんどは、前の結婚からの子供を持っているだろうということだ
私たちのサンプルで、中年の内縁関係殺人者のおよそ半分は、その片方または両方が、未だに法的には以前の相手と結婚している
この仮説の検証は将来に待たねばならない
家族殺し、自殺、当てつけ
夫が、妻と一人または数人の小さい子供とを皆殺しにするという殺人は、まれではあるが繰り返し起こっている
カナダの23年間の記録では、61件のそのような事件があるが、妻によるこのような大量殺人は一件もない
このような事件で、父性に関する疑惑が明記されていることはほとんどないが、妻の不倫はしばしば直接の議論の材料となっている
このような事件はまさに、なぜ私たちが、直接の行動の最適化や適応度の最大化ではなく、心理的なレベルで適応を考えねばならないと主張しているのかを、明瞭に示すものだ 適応度の最大化をはかる合理的な人間であるならば、たとえ、父性に疑いがあったとしても、結局は自分の本当の子かもしれない公算はあるわけだから、子どもは確実に生かしておくべきだ
しかし、適応度は、彼の直接的な心配ごとではないのだ
第5章 親殺しでたびたび現れある、子どもを殺して自分も自殺する母親について論じたが、彼女らは、自分自身にも子どもにも絶望していて、子どもをこの残酷な世の中から救うために殺すのである 男性による家族殺しの中のいくつかは、同じような例であるらしい
たとえば、オーストラリアの精神科医が、女性が加害者である二件と男性が加害者である二件、合計四件の「自殺を伴う家族殺し」について述べている(Goldney, 1977) 1件は「病的な嫉妬」によるとされており、すでにみたような内容だ
しかし、もうひとりの男性は、二人の女性加害者と同様、「強い抑鬱」から殺したと分類されている
しかしながら、家族殺しの男性の「抑鬱」が、女性のそれと同じものであるかどうかは疑問
ゴールドネイの少ないサンプルからでも、いくつかの男性と女性の違いが浮かび上がってくる
両方の男性ともに、自殺する前に妻と子どもたちを順番に殺しているが、両方の女性ともに、夫を殺そうとはしていない
男性と女性によるこの違いは、もっと一般的であることがわかる
愛するものを道連れにして自分も死のうと思っている女性で、自分の夫を「救助幻想」に含めている女性は一人もいない
夫は、しばしば、女性が自分と子どもたちをそこから救おうとしている問題の根源そのもの
私たちのカナダの10年間の資料では、15人の女性が一人またはそれ以上の小さな子供を殺して自殺したが、この15人の誰一人として夫を殺していない
それとは対照的に、同じような自殺を伴う家族殺しをした36人の男性のうち、12人が、妻を殺している
家族殺しをする男性が「抑鬱」状態にあることは否定できない
しかし、抑うつ状態にあってさえ、男性は妻と子どもたち似たする独占欲を見せており、女性はそのような独占欲を子供に対してしか示さない
嫉妬に狂ったり捨てられたりして、家族を殺す男性よりもさらに多いのは、自分自身の失敗を気に病み、自分に忠実であることを信じて疑わない家族を殺す男性であるかもしれない
55歳の専門職の男性は、もっと成功しているようだが、妻と息子をベッドの中で殺し、自殺を図ったことについて、まったく同じような説明をしている(McDonald, 1961) 自殺を伴う危険性が非常に高い唯一の殺人は、血縁者を殺すまれなタイプの殺人と、もっと頻繁に起こっている男性が女性を殺す殺人
自殺する殺人者は主に女性を殺した男性、それも、自分と性的関係を持っていた(または少数の例でそうしたいと思っていた)女性を殺した男性
実際、殺して自殺するという事件では、ロマンス絡みの動機が非常に多いので、男性が男性を殺して自殺した事件があると、経験を積んだ警察はすぐに、彼らはホモセクシュアルだったのではないかという仮説を立てるほどである
カナダでは、1974年から1983年の間に、夫の殺した248人の女声のうちたった7人だけ(2.8%)が殺人の後で自殺したが、妻を殺した812人の男性のうち192人(23.6%)が自殺している
もちろん、自殺率は男性の方が女性よりもずっと高いのであるが(たとえばdeCatanzaro, 1981)、夫婦間殺人者の男性と女性における八倍もの違いは、仏よりもずっと大きい ウォルフガングのフィラデルフィアの研究では、妻を殺した53人の夫のうち10人(19%)が自殺したが、夫を殺した47人の女性のうちで自殺したのはたった1人(2%)
ウィルバンクスのマイアミの研究では、これの相当する数字は、男性の23人中6人(26%)と、女性の20人中0人
何人かの研究者は、このような自殺は、人を殺したことに対する後悔の念の現れであり、そうであるがゆえに計画性はないと示唆している
かつて、女性が殺人したあとでも自殺しないのは、男性に発達している後悔の念が女性にはないからで、女性は冷酷なのだと主張するのが流行っていた
しかし、それぞれの事件の報告を詳しく検討すると、この仮説は成り立たないことがわかる
殺人者は自分がいなくなったあとの指示や遺書を残しているので、計画していたことが明らか
実際、殺したあとで後悔の念にかられて突発的に自殺するというのは、非常にまれ
カナダで殺人をした192人の夫が殺人の直後に自殺しているが、殺人から数日、数週間たってから自殺したのは3人だけ
事実、カナダの殺人サンプル6559件全体のうち、数日立ってから後悔の念にかられて自殺したと考えられる例は8例しかない
男性の利益を適応度で考えるとしても、もっと身近な喜びで考えるとしても、殺人をしてから自殺するのは、ことのほか無意味な行動
これは、行為者が、他者に損失を与えるということだけのために、自分自身の利益を損なうような行動を計画したり、実行したりすること
社会行動の進化に関する単純な自然淘汰モデルでは、意地悪行動をしようとする衝動は、なかなか進化できない
自分の社会的な能力、物質的性向、妻の忠実さ、父性、思いとどまらせる力、評判、自尊心、そして、父親や夫としての彼の権威などと行ったものに対する、もっと適応的な関心から、なんらかの副産物として出てきたのだろう
男性は、なかなか女性を去らせない
その逆である、嫉妬した妻が夫を探し出して復讐するという事件は、実際にはきわめてまれ
1974年から1983年の間に法的に結婚して同居していた夫婦の間では、夫が妻を殺す確率は、妻が夫を殺す確率よりも4倍高い(404対107件)
別居していた夫婦では、この数字は9倍となる(119対13)
そして、この119件の別居中の夫による殺人の43%が、警察によって『嫉妬」という範疇に含められているが、別居中の妻による殺人では、「嫉妬」は13件中の2件のみ
女性が別居中の夫を殺すという比較的まれな事件は、自分を放してくれない夫から身を守るための防衛であることが多い
殺人―自殺者の中には、妻を殺した夫全体よりもずっと多く、そのような男性が含まれている
カナダで別居中の妻を殺した119人のうち42人(35.3%)が殺した後に自殺したが、別居中ではない妻を殺した男性では21.6%だった